メンバー

永禄10年8月3日(1567年9月5日)、出羽国米沢城で誕生。幼名・梵天丸。11歳で元服し、人取橋の戦い、摺上原の戦い、岩出山城への転封、文禄の役への従軍、関ヶ原の合戦を経て、慶長6年(1601)に仙台城の築城と城下町・仙台の建設を開始。仙台藩62万石の礎を築いた。料理・香道・能・和歌などを愛し、「真実の心」をもって人をもてなすことを大切にされた。
仙台藩一門第二席・亘理伊達家初代当主。伊達政宗公の1歳年下の従兄弟であり、兄弟のように育った。戦場では幾度となく政宗公の窮地を救い、伊達家随一の猛将として恐れられた。一歩も後ろに退かぬという心意気から、陣羽織の背中には香車を、兜の前立には毛虫を掲げている。
白石城初代城主。政宗公が幼き時は傅役を、長じてよりは軍師を務め、生涯に渡り政宗公を支えた名参謀。政宗公の命運を左右する合戦には必ず景綱の姿あり、と言わしめた。「潮風」という笛を愛用し、合戦の合間に吹いていたと伝わる。
片倉小十郎景綱の嫡男。17歳の時、上杉方から白石城を奪還した白石城攻めで初陣を遂げた。大坂の陣にも参陣し、その戦いぶりから「鬼小十郎」と称された。白石城二代目城主。後妻は真田幸村の娘・阿梅姫。
政宗公の命を受け渡欧した「慶長遣欧使節」の日本人のリーダー。慶長18年(1613)、サンファンバウティスタ号で、石巻の牡鹿半島月の浦を出帆。日本人として初めて太平洋・大西洋を越え、メキシコ、スペイン、ローマを訪れた。通称・六右衛門。
みちのくの名所を旅し、数々の名句と「おくのほそ道」を残した俳聖。元禄2年(1689)、青葉の季節に仙台を訪れ、政宗公の築いた奥州・桃山文化を目の当たりにした。杜の都の旬と魅力を伝えるみちびき手。
伊達の隠密・黒脛巾組のくノ一。政宗公や武将たちを影から支える。令和の世では電子網での忍務を目指し修行中!