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永禄10年(1567年)8月3日、出羽国米沢で誕生。幼名・梵天丸。幼少の頃、疱瘡(天然痘)を患い右目を失明。『独眼竜』の異名をとる。戦国時代を生き抜き、慶長6年(1601)に仙台城の築城と城下町・仙台の建設を開始。仙台藩62万石の礎を築いた。能、和歌、茶道、香道、料理などを趣味とし、「真実の心」をもって人をもてなすことを大切にされた。寛永13年(1636年)5月24日没。享年70。墓所は瑞鳳殿。
政宗公の1歳年下の従兄弟。亘理伊達家初代領主。
人取橋の戦い、大坂の陣などに参戦。伊達家随一の猛将として恐れられ、また、幾度となく政宗公の窮地を救った。一歩も後ろに退かぬという心意気から、陣羽織の背中には香車を、兜の前立には毛虫を掲げている。
白石城初代城主。政宗公が幼いころは傅役として、成長してからは参謀として仕え、生涯に渡り政宗公を支えた。小田原征伐では豊臣方として参陣するよう政宗公に進言し、伊達家存続に貢献した。兜には愛宕山大権現守護所の札を掲げている。
白石城二代目城主。片倉小十郎景綱の嫡男。
17歳の時、上杉方から白石城を奪還した白石城攻めで初陣を遂げた。大坂の陣では父景綱に替わって政宗公に従い参陣し、その戦いぶりから「鬼小十郎」と称された。後妻は真田幸村の娘・阿梅姫。
政宗公が夢見た南蛮との交易の交渉のため、慶長18年(1613)、石巻の牡鹿半島月の浦からサン・ファン・バウティスタ号に乗り出帆。太平洋を渡りメキシコへ赴き、さらに日本人として初めて大西洋を横断し、スペイン、イタリアを訪ねた伊達の外交官。洗礼名フィリッポ・フランシスコ。通称は六右衛門。
みちのくの名所を旅し、数々の名句を残した俳聖。
元禄2年(1689)の『おくのほそ道』の旅の中では、青葉の季節に仙台を訪れ、「あやめ草 足に結ん 草鞋の緒」の句を詠んでいる。杜の都の旬と魅力を伝えるみちびき手。
伊達の隠密・黒脛巾組のくノ一。
政宗公や武将たちを影から支える。令和の世では電子網での忍務を目指し修行中!