伊達とは何か<六> 礎と伊達文化

南奥羽の覇者と讃えられ、戦国大名として乱世を生き抜き、仙台藩62万石の礎を築いた藩祖・伊達政宗公。
その功績は軍事・政治のみならず産業・文化・国際交易にまで及び、その遺勲は今なお伝え継がれています。
この地に生き、継承と革新を繰り返しながら〝伊達〟の系譜を守り続ける方々にご登場いただきます。

 

伊達とは何か<六>

時代を超えて礎と伊達文化を語る。

黒田石材店 十八代当主 黒田 孝次氏

黒田家の先祖・黒田屋八兵衛が築いたと思われる清水門跡の石垣を背に、往時をしのぶ伊達武将隊伊達政宗と黒田孝次氏(右)

威風堂々とした佇まいで聳え立つ仙台城本丸北壁の石垣。この石垣を築いたのは、仙台藩初代藩主・伊達政宗公が大坂から呼び寄せた石工衆でした。
 この石垣に込められた思いについて、400年余り前、政宗公の求めで仙台に移り、石垣建造に携わった黒田屋八兵衛の子孫・黒田孝次さんに、奥州・仙台おもてなし集団 伊達武将隊 伊達政宗がうかがいます。
(伊達武将隊かわら版vol.10/2018.6月-7月号掲載「伊達とは何か」より)

 

 

仙台城「石垣と黒田家」

慶長6年(1601年)
仙台城築城にあたり石垣を建造

 

政宗 今、仙台城跡にて往時を偲べるものは、石垣だけとなっておる。黒田殿のご先祖が、この石垣の建造に携わった経緯をお聞かせいただきたい。
黒田 私どもの先祖・黒田屋八兵衛は大坂の泉州堺で石工棟梁をしておりましたが、仙台城築城にあたり、伊達政宗公から石垣の建造を依頼され、この地にやって来たようです。
政宗 そうであった。わしが呼び寄せたのであったな(笑)
黒田 それから400年余り、当家は今も石材業を営んでおり、私で18代目になります。黒田家がこの地で脈々と続いていることに、改めて驚いています。
政宗 わしは継承することが何より難しいと考えておる。ゆえに、わしが築いた仙台という街が今なお続いていること、さらに街づくりに関わった者たちの子孫が今も続いていることを嬉しく思う。当時わしは、天下の名城を作ろうと意気込み、天下一の工人を集めようと考えておった。結果的に、黒田殿のご先祖のような名工を見つけられたのは幸せであり、今なお仕事を続けてくれていることを誇りに思う。
黒田 途中何度か修復されましたが、先祖が築いたあの石垣が今も残っていることは、子孫である私どもにとってもうれしいことだと思っています。

本丸北壁の石垣では、黒田家を象徴する「井」が刻印された石を見ることができる

政宗 石垣建造当時の記録で、何か伝わっておるものはあるか?
黒田 残念ながら何も残っておりません。ただ思うことは、石工棟梁であった初代・黒田屋八兵衛の「政宗公の期待に応えよう」という熱い想いが、あの仙台城の石垣という形になったのではないかということです。あの石垣には、先祖たちの思いが詰まっているように私には思えます。
政宗 記録が残っていないということについてであるが、全国に自慢できるような堅牢な城の土台を作った者たちの情報を外に漏らさぬため、敢えて記録を残すことを禁じたのではあるまいか。黒田家のご先祖たちがこの地に残ったというのも、そうした事情があったからではないかと推察するのだが。

18代目の黒田氏が袖を通している半纏の背には、400年以上続く黒田家の屋号、「井」が染め抜かれている。先祖が築いた石垣を前に、石工としての誇りがみえる

黒田 あるいはそうかもしれませんね。八兵衛は腕のいい職人であることを見込まれて仙台に来たわけですから。これは伝え聞いた話ですが、先祖は当時、政宗公から石垣に使う石を採っていた山を譲り受け、さらに石工たちが住んでいた石切町(現在の八幡二丁目)に広い屋敷を拝領していたようです。それもあって、この地に腰を落ち着けようと考えたのかもしれません。
政宗 なるほど、悪い扱いはしていなかったということであるな(笑)

仙台藩初代藩主伊達政宗公によって建造されたとされる清水門跡の石垣は、巽門から清水門、沢門を経て本丸詰門に至る登城路のひとつ。かつて三の丸だった現在の仙台市博物館の南側にはその登城路が残っていて、今でも石垣や自然を肌で感じながら登ることができる

 

 

 

「堅牢な山城」を支える石垣

先進地から来た石工たちが
最先端の技術で建造

 

登城路を進むと左手に出現する美しく反り上がった本丸北壁の石垣

政宗 黒田殿は仙台城の石垣をどのように思われるか?
黒田 今見えている本丸北壁の石垣は四代藩主・綱村公の時代のもので、政宗公の時代の石垣は内部に埋まっておりますが、いずれも当時としては最先端の土木技術で積まれたものだと感じています。
政宗 仙台城の石垣の特徴をお聞かせ願いたい。
黒田 平成9年(1997年)に始まった本丸北壁石垣修復工事の解体作業を見せていただいた時、積み方に特徴があることに気づきました。石垣には反り面というものがあるのですが、その反り面に対して直線ではなく、石を湾曲気味に積んであるのが仙台城の石垣の特徴ではないかと考えています。

本丸詰門跡側から見た北壁石垣

政宗 なぜ湾曲気味にしたのであろうか?
黒田 石垣内部の水圧や土圧などを分散させるためではないかと思われます。
政宗 よく考えて作られているというわけじゃな。
黒田 大阪城の石垣などは、石と石の接地面の小さな隙間に石が詰められているのですが、仙台城の石垣にはそれが少ない。合わせ目が全部合っている詰め方は、当時としては高度な技術であったと思います。しかも美しい。
政宗 仙台城は山城であるから、石を小さく加工しないと運び上げるのが大変であった。それが石垣の緻密さや美しさにつながっているのではなかろうか。
黒田 仙台城の石垣は、布積み(真四角の石を互い違いに組んで横目地を通す手法)に近いと思われますが、全てではありません。ところどころ、石の形に合わせて上手く積んでいる。石の特徴を活かし、それを損なわない形で残している積み方は、なかなか素晴らしい積み方であると思います。

本丸にある「仙台城見聞館」前の「築城期の石垣モデル」築城期は自然石を横に使い積んでいる

本丸にある「仙台城見聞館」前の「本丸北壁の石垣モデル」本丸北壁は規則的に加工された石を使い、横に目地が通るように積まれている

政宗 うむ。料理と同じで、仙台には素材を大事にする気風があるからのう。
黒田 手間も相当かかっています。一つ一つ現場で、石の形に合わせて合端(あいば/石同士が接着する部分)を加工し、丁寧に積み上げて行っていますから。もうひとつ、間知石(けんちいし/石積みに使用する四角錐形の石材)の控えの部分が長いのも仙台城の石垣の特徴だと思います。これを長くとることで、排水処理や土圧の分散が可能になります。

政宗 わしの時代の石垣は、今も清水門跡や沢門近くの登城路沿いで見ることができるが、黒田殿のご先祖はこれらをどのような思いで作ったのであろうか。
黒田 政宗公にお声がけいただいたことを、たいへん光栄なことだと受け止めていたのではないでしょうか。故郷を離れ、仙台に移ることも厭わぬほど、やりがいを感じていたのだと思います。もし私が先祖のように政宗公から声をかけられたら、喜んで仙台にまいります。
政宗 それは何よりうれしい言葉である。

冷たい風が気持ちいい!石積みの裏に作られた排水用の穴を涼しい風が吹きぬけてくる。暑い日には登城中の武士もここで涼をとっていたに違いない!

 

 

 

「正調雀踊り」を継承

起源は石工たちが舞った「はねこ踊り」
伝統の踊りとお囃子を次代に

 

政宗 「仙台青葉まつり」で踊られる「すずめ踊り」は、石工衆が舞ったのが始まりと言われておるが?
黒田 当家では「仙台城の石垣が完成したとき、政宗公の酒宴の席で即興で踊ったのが始まり」と伝えられています。もともとは「はねこ踊り」と呼ばれていました。私が子どもの頃、石工たちが信仰していた瀬田谷不動尊(八幡二丁目)のお祭りで、御神楽の締めとして「はねこ踊り」が踊られたことを憶えています。ただ、この「はねこ踊り」から「正調雀踊り」にどう切り替わったのかは、亡くなった父もよくわかっていなかったのではないかと思います。

正調雀踊りは扇子を右手に一本のみ持ち踊る。先代、黒田虎雄氏の踊り

政宗 黒田殿も幼少より踊りやお囃子を仕込まれたのであるか?
黒田 家に代々伝わってはいましたが、私が関わり始めたのは40歳を過ぎた頃からです。父からは「石屋を継ぎなさい」「雀踊りをやりなさい」と言われたことは一切ありませんでした。父は石材店も雀踊りも、「自分の背中を見て判断してくれ」「その上で跡を継いでほしい」と考えていたのだと思います。
政宗 では黒田殿は、いつ石材店を継ごうと思われたのか。
黒田 大学を卒業する時です。私は次男なんですが、特にやりたい仕事もなかったので、軽い気持ちで「じゃあ継ごうかな」と(笑)そのあと三年間、愛知県岡崎市の石材店で修行しました。
政宗 その気持ちが黒田家の歴史をつなぎ、今に至っているわけであるな。
黒田 家を継ぐとき、当家の歴史について、実はそれほど意識していませんでした。変わったのは、平成12年(2000年)に行われた仙台開府400年の記念事業でバチカンに武藤順九さんの彫刻を設置することになった時です。その台座に仙台城の石垣が使われることになり、建造に携わった石工衆の子孫である父に依頼が来たのです。父は「石垣がバチカンに行くのなら、雀踊りも」と言って、バチカンで「正調雀踊り」を披露しました。そこからです、黒田家の歴史を意識するようになったのは。石材業をしてはいましたが、それまでは仙台城の石垣のことなど考えたこともありませんでした。

台座完成披露で踊った正調雀踊り。平成12年 仙台城跡にて

政宗 そんな黒田殿にとって、伊達とは何であろうか。
黒田 ご縁だと思っています。政宗公がいなければ、黒田家もここになかったわけですから。また、石垣というものは、それほど注目されるものではありませんので、今回このように政宗公と石垣の話をさせていただく機会をいただけたことにも感謝しています。
政宗 これからの展望をお聞かせいただきたい。

黒田 代々続いてきた黒田石材店を絶やさず続けてゆくことです。実は、父と同じ歳になってはじめて、息子である私に「継いでくれ」と言えなかった父の心情に気づきました。そのこともあって、自分の子どもには、早くから継承について話をしてきました。幸いなことに、娘が19代目を継いでくれると言っております。
政宗 それは祝着至極である。
黒田 「正調雀踊り」についても、関わってくださった方々への感謝の気持ちを忘れずに、長く継承してゆきたいと考えています。

ノミで石を削る作業。さまざまな道具を使いいかにきれいに仕上げるかが職人の技量

一人前と言われるまでには15年はかかるが、「生涯が勉強」と言葉を強める黒田氏

こういった道具を使い加工する石工も少なくなってきている

代々受け継がれ使われてきた道具たち。道具も全て自分で作っていたため昔の石屋は鍛冶屋も兼ねていた

ユアテックスタジアム仙台に設置されている「ベガッ太」の石像は、黒田石材店が寄贈したもの

石削りにチャレンジ中の政宗

 


黒田石材店
仙台市青葉区八幡2-3-11 Tel.022-234-5632

※文中で表示の年数は取材をした2018年5月当時のものです。