南奥羽の覇者と讃えられ、戦国大名として乱世を生き抜き、仙台藩62万石の礎を築いた藩祖・伊達政宗公。
その功績は軍事・政治のみならず産業・文化・国際交易にまで及び、その遺勲は今なお伝え継がれています。
この地に生き、継承と革新を繰り返しながら〝伊達〟の系譜を守り続ける方々にご登場いただきます。
伊達家御酒御用蔵 仙台伊澤家 勝山酒造株式会社 十二代蔵元 伊澤 平蔵氏
宮城の酒造りは、酒をこよなく愛した仙台藩初代藩主・伊達政宗公が、当時最先端であった南都諸白造(なんともろはくづく)りの杜氏を呼び寄せ、城内に造酒屋敷を設けたのが始まりと伝えられています。現存する唯一の伊達家御酒御用蔵としての思いを、勝山酒造十二代蔵元伊澤平蔵さんに、奥州・仙台おもてなし集団伊達政宗がうかがいます。
(伊達武将隊かわら版vol.8/2018.2月-3月号掲載「伊達とは何か」より)
政宗 昨年は生誕450年ということで、皆々に祝ってもらい祝着至極であった。年も明け、ここからはまた新たな気持ちで、「伊達とは何か」に迫りたいと存ずる。今回のテーマは「酒と伊達文化」ということで楽しみにしてまいった。まずは、勝山酒造の歴史をお聞かせ願いたい。
伊澤 私どもの創業は、今から330年前の元禄元年(1688年)で、仙台藩より御酒御用蔵を拝命したのは、江戸末期の安政4年(1857年)でした。
御酒御用蔵に選ばれるということは〝領内一の造り酒屋〟と認められるということですから、酒屋にとってはたいへん名誉なことでした。御用蔵はその時々で変わります。私どもが拝命した時代も、他に何軒かありましたが、明治維新を越えて今なお残っているのは残念ながら当蔵だけとなりました。
政宗 なるほど。して、御酒御用蔵の役割とは如何なものであるか。
伊澤 大きく分けて二つございます。一つは、殿様のために酒を造ること、もう一つは、領内の造り酒屋への技術指導です。これは質の向上はもちろんですが、腐造(ふぞう)防止という意味合いが強かったようです。
政宗 腐造(ふぞう)とは?
伊澤 醸造中に酒が腐ってしまい、売り物にならなくなってしまうことです。腐造は、酒屋のみならず藩にとっても大問題でした。酒にかけられる酒税は、藩にとって大切な財源でしたから。〝税収の安定確保〟という意味でも技術指導は、御酒御用蔵の大切なお役目だったのです。
政宗 わが藩の経営を支えていたということであるな。
伊澤 おっしゃる通りです。しかも仙台藩は62万石の大藩でした。藩が扱う酒の量を考えても、酒税がいかに重要な財源であったかがおわかりいただけるかと存じます。そんな酒税に関わるお役目ですから、御酒御用蔵は責任重大です。万が一、あちこちで腐造が出た場合、まさに切腹ものだったのではないでしょうか。明治維新以降、そのお役目は国税局の鑑定官室に引き継がれました。ちなみに、明治政府ができた当時、酒税が日本の税収に占める割合は、1/3。江戸時代も明治時代も、酒税は政府にとって大切な財源だったようです。
政宗 そのような大任を果たしておったとは、誠に大儀であった。
伊澤 身に余るお言葉、かたじけなく存じます。私どもは江戸時代以降も仙台藩の御酒御用蔵としての誇りを持ち、守りつづけた暖簾に恥じることのないよう、今日まで歩んでまいりました。
政宗 勝山酒造は、現在どのような酒造りを行っておるのか。
伊澤 私どもの蔵は、宮城県内で最初に高級酒の代名詞である特定名称酒、中でも高級な純米酒のみを醸造する純米蔵に切り替えました。背景には、藩政時代に技術的なリーダーシップを担ってきた蔵としての矜持がありました。伊達な酒造りを考えたとき、「高級酒」を旗印にして方向性を旗幟鮮明(きしせんめい)にすることが望ましいのではないかと考えたのです。
政宗 酒にはいろいろな味わいがあるが、勝山酒造の酒の特徴は?
伊澤 政宗公は食にたいへん造詣が深く、酒とともに料理を楽しまれた方でした。これに倣い、私どもは料理を楽しむための酒、「食中酒」というコンセプトを打ち出しました。
政宗 ほう、「食中酒」とは面白い。
伊澤 料理と相性のいい酒を造り出すため、まずは「食」と正面から向き合いました。幸い私どものグループ企業の中に、宮城調理製菓専門学校や食を提供している勝山館がございますので、料理のプロたちと意見交換をし、検証・実証を繰り返しました。その結果、ポイントは〝旨み〟であることがわかりました。純米酒には米本来の旨みがあります。この旨みが料理の旨みを引き出すのです。ここから、お米の旨みが感じられる酒の追求を始めました。こうして出来上がったのが、料理と相性のいい旨口系の純米酒です。
政宗 どのようにして、純米酒を極めたのか。
伊澤 方法は、まさに「温故知新」でした。本当にいい酒を造るため、工程を一から検証したところ、生産性やコストにとらわれることなく、丁寧に作ることが大切であるということがわかりました。仕込むのは1週間にタンク1本だけ。我々はこうした手間を惜しまない造り方が酒造り本来の姿だと思うのですが、他の方々は「新しい!」と感じるようで、私どもの酒はこれまでにない革新的な酒として、各種コンペティション等で高い評価を戴いています。
麹室・麹造り。徹底した温度管理のもとで種菌を均一に降り麹菌が繁殖しやすい環境をつくる
政宗 日本酒は今、海外でも注目されていると聞くが。
伊澤 おっしゃる通りです。私どもは今、海外の方々に日本酒のおいしさを知っていただき、気軽に召し上がっていただけるよう努めているところなのですが、その度に感じることは、和食や日本酒といった日本の文化が、世界で通用するものであるということです。海外の方々は特に侍や武士道がお好きですので、私どもの酒を紹介するときには、仙台藩御酒御用蔵の歴史を背景に「侍の酒です」と申し上げます。すると、たいそう喜ばれるんですよ。
政宗 もし、支倉常長の慶長遣欧使節が上手くいっていたら、もっと早くに仙台藩の酒を世界に届けることができたかも知れぬな。
伊澤 そうですね。海外に最初に日本酒を紹介なさったのは、支倉様であったかもしれませんね。私どもは現在、世界17か国に事業展開しておりまして、特にニューヨークに力を入れています。世界への発信力が強く、新しいものを受け入れる素地があるというのが、その理由です。今では、ニューヨークにあるトップ50の和食の店のうち7割近くに勝山の酒が入っています。
政宗 仙台藩と縁の深い伊澤殿にとって、伊達とは何であろうか?
伊澤 一言で申し上げるなら、精神的支柱です。政宗公がそうであったように、伊達には進取の気風がありました。新しいものを取り入れ、挑戦を恐れず、他におもねることもなく、独立独歩で進んでゆく。そんな伊達家の御酒御用蔵であったわけですから、我々もそうあるべきではないかと強く思っています。
政宗 では最後に、これからの展望をお聞かせ願いたい。
伊澤 世界制覇です(笑) 現在、製造量の14%を海外に出しています。酒造業界では極めて高い数字ですが、他の業種から見たら「たったそれだけ?」というレベルです。日本酒はまだまだ海外には伸びしろがあります。私どもの願いは、日本酒が海外の日常生活に定着し、食のQOL(※)を高める一助となりながら、さらに広まってゆくことです。そのためにも、積極的に世界へ打って出ようと考えています。そしていつか、世界制覇を果たしたいと思っています。
※QOL/Quality of life、クオリティ・オブ・ライフ。「生活の質」。どれだけ人間らしく自分らしい生活を送り、人生に幸福を見出しているかを尺度としてとらえる概念。
政宗 かつてわしも〝奥州の伊達〟ではなく、〝世界の伊達〟を目指しておった。勝山酒造が〝世界の勝山〟になれるよう、われらも応援してまいろう。
伊澤 ありがとうございます。
仙台伊澤家 勝山酒造株式会社 |
※文中で表示の年数は取材をした2018年1月当時のものです。