南奥羽の覇者と讃えられ、戦国大名として乱世を生き抜き、仙台藩62万石の礎を築いた藩祖・伊達政宗公。
その功績は軍事・政治のみならず産業・文化・国際交易にまで及びその遺勲は今なお伝え継がれています。
この地に生き、継承と革新を繰り返しながら〝伊達〟の系譜を守り続ける方々にご登場いただきます。
仙台伊達家十八代当主 伊達 𣳾宗氏
政宗公の時代より、伊達家で大切に守り継がれている「仙台藩作法」。その根底にあるものは、「伊達」の真髄とも言うべき政宗公の思い。
子孫としての政宗公への思いと、次の世代に伝えたいことを、仙台伊達家十八代当主 伊達𣳾宗さんに、奥州・仙台おもてなし集団 伊達武将隊 伊達政宗がお話をうかがいます。
(伊達武将隊かわら版Vol.5/2017.8月-9月号掲載「伊達とは何か」より)
政宗 今年はわし、政宗の生誕450年(※)の記念の年。子孫として、今どのようなお気持ちでおられるか。
𣳾宗 政宗公は、70年のご生涯でした。多くの方々が思い浮かべる甲冑を着けた猛々しいお姿は、南東北の覇者として「独眼竜」の名を轟かせた前半生のお姿です。後半生、政宗公は仙台藩初代藩主として領民の平和を願い、国造りに力を注ぎ、今日ある100万都市仙台の礎を築かれました。
仙台を築いてくださったことに感謝するとともに、政宗公の思いをしっかり伝えて生きてゆかねばならないと、子孫として改めて思うところであります。
政宗 伊達武将隊としておもてなしをしていると、お客人から「あと20年早く生まれていれば、天下をとれたのでは」と言われることが時々ござる。子孫として、思うところをお聞かせ願いたい。
𣳾宗 私もよく「20年早く誕生していれば」、あるいは「都近くに誕生していれば」と言われます。子孫として思うことは、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康という天下人より20年遅く生まれてきたからこそ、政宗公はその御三方が成し得なかったことができたのではないか、ということです。
家康公は天下統一を成し遂げました。東北の一大名として、政宗公はそれを謙虚に受け止めたのではないかと思います。そして「天下統一はできなかったけれど、自分は家康公より24歳も若い。家康公ができないことは何だろう」と考えた。それが世界に視野を広げたきっかけだったのではないかと思っています。
あの大航海時代、世界が日本に向かってきたその中で、唯一日本から世界を目指したこと、それは信長公にも、秀吉公、家康公にもできなかったことです。政宗公が後半生で成し遂げたことを思うと、沖を黒潮が流れる仙台という「地の利」、20年遅く生まれてきたという「時の利」を、自らが引き寄せたのではないかと思えてなりません。
政宗 今年はまた、仙台開府から416年目(※)でもござる。この歴史をどのように感じておられるか。
𣳾宗 政宗公が岩出山から仙台に移ってきた時、この地はまだ湿地帯でした。「宮城野」という歌枕にもなった、萩が生い茂る原野が広がっていたようです。そういう土地に都市を築くのは、大変なことであったと思います。
政宗公が国造りを進めていた頃、この地は慶長三陸地震に襲われます。領内では五千人近くが命を落としました。政宗公は家臣団とともに、率先して復興に努めました。まずは治水工事です。津波に遭った沿岸地域の塩を抜くために堀を造りました。これが、明治時代まで続く貞山運河です。さらに塩を抜いた大地には水田を造り、収穫した米は江戸へと運びました。当時の江戸はロンドンに次ぐ大都市で、米の一大消費地であったのです。これにより、江戸の米の7割は仙台米となりました。
政宗公はただ復興を成し遂げるのではなく、国造りをさらに発展させて、伊達62万石の基礎を築いたのです。その先見性、国造りの姿勢には、学ぶべきことがたくさんあると思います。
政宗 わし、伊達政宗が何を成したかを知らない方がまだまだおられる。伊達武将隊はそれらを少しでも伝えられるよう、日々のおもてなしに努めて参る所存にござる。
𣳾宗 ありがたいことだと思っております。
政宗 伊達家には代々「仙台藩作法」というものが伝わっているが、それは如何なるものであるか。
𣳾宗 江戸時代には藩校と呼ばれる学校があり、そこでは礼法が教えられていました。「仙台藩作法」は、政宗公以来、伊達家に伝わる礼儀作法を現代に蘇らせたものです。一般的に礼儀作法というと形式だけのものと思われがちですが、「仙台藩作法」では、礼儀は心と繋がっていると考えます。心の美しさは外面に現れ、礼儀を学ぶことは心に磨きをかけることになるという考え方です。
政宗 「仙台藩作法」で大切にしていることをお聞きしたい。
𣳾宗 最も重んじているのは「敬する」ことです。「敬」には、優れたものや素晴らしいものに対する限りない尊敬の念と、自らを顧みて慎むという二つの意味があります。政宗公がそうであったように、人は生涯をかけ、高みを目指して進んでゆかなければなりません。そのためには謙虚な姿勢が大切なのです。
政宗 作法として、具体的にどのようなものが継承されておるのか。
𣳾宗 姿勢、立居振舞から、飲食の心得、手紙の書き方、香道の嗜みまで多岐に渡ります。中でも香道につきましては、政宗公ご自身がお香に深い造詣をお持ちであったことから、伊達家では「仙台藩作法次第香之儀」として、特に大切にされてきました。
政宗 「仙台藩作法」は現代の暮らしに取り入れることができるだけでなく、我が思いに触れ、伊達文化を学べるという魅力もあるのじゃな。
政宗 今日「伊達」という言葉は色々な使われ方をしているが、𣳾宗殿にとって伊達とは何であろうか。
𣳾宗 私が幼き頃より言われてきたのは、「伊達とは決して表を飾り立てることではなく、人の見ていないところでこそ努力を重ね、その結果、内面から外に向かって輝き放つ光である」ということでした。
これを象徴するエピソードが、瑞鳳殿の涅槃門に伝わっております。戦災で焼失する前、この門には彩色されていない彫刻がありました。その彫刻は香木で造られていて、背面の梁には金箔が貼ってあったといいます。
気づかなればそのまま通り過ぎてしまうような色彩の無い彫刻が、実は瑞鳳殿で最も価値のある香木で造られており、日の光が当たるとシルエットとして浮かび上がるよう工夫されていた。「伊達」とは、まさにこういうことではないかと思っています。
政宗 最後に伊達家十八代当主として、後世に伝えたいことをうかがいたい。
𣳾宗 歴代のご先祖様はそれぞれ、子孫に言葉を遺していらっしゃいます。いつの時代も忘れてはならないのは、「吾々が今日この地位にあると言うことは、これ一つに祖先の努力の賜である」という言葉。そして、「現在を思い将来を慮るに、過去の歴史に発奮する者は必ず勝利者である」という言葉です。
歴史は、様々なことを教えてくれる道標です。子孫として、ご先祖様が歩んでこられた道を踏み外すことなく、また新しい道を作ってゆけるよう、努力を重ねてゆきたいと思っています。
伊達家伯記念會:仙台市青葉区大手町10-23 Tel.022-221-7331 Fax.022-213-4840 |
※文中で表示の年数は取材をした2017年7月当時のものです。