伊達とは何か<2> 茶道と伊達文化

南奥羽の覇者と讃えられ、戦国大名として乱世を生き抜き、仙台藩62万石の礎を築いた藩祖・伊達政宗公。
その功績は軍事・政治のみならず産業・文化・国際交易にまで及び、その遺勲は今なお伝え継がれています。
この地に生き、継承と革新を繰り返しながら〝伊達〟の系譜を守り続ける方々にご登場いただきます。

 

伊達とは何か<弐>

時代を超えて茶道と伊達文化を語る

仙台藩茶道 石州流清水派宗家 十一世 大泉 道鑑氏

政宗公の偉勲として脈々と受け継がれている伊達文化。その文化の中心的な存在であり続けてきた仙台藩茶道「石州流清水派」があります。
300年以上変わることなく継承されてきた流派の真髄と、伊達文化への思いを、石州流清水派宗家十一世 大泉道鑑さんに、奥州・仙台おもてなし集団 伊達武将隊 伊達政宗がうかがいます。
(伊達武将隊かわら版Vol.6/2017.10月-11月掲載「伊達とは何か」より)

 

仙台藩茶道「石州流清水派」とは

将軍家から全国へ伝わった大名茶
綱村公の時代に仙台藩茶道として確立

政宗 今年はわし、政宗が生まれて450年目にあたるが、仙台には今も素晴らしい伊達の文化が残っておる。石州流清水派もその一つと聞く。そもそも「石州流」とは如何なる流派であるか、お聞かせ願いたい。
道鑑 石州流は、大和国小泉の城主であった片桐石見守貞昌(石州)公により始められた流派です。四代将軍 徳川家綱公の茶道師範を命ぜられた石州公は、将軍家の茶道の規格として「石州流三百箇條」を定めました。将軍家の茶道となって以降石州流は、全国の諸大名の茶道・大名茶として広まっていったと伝えられています。
政宗 わが仙台藩において、石州流清水派はどのような経緯で誕生したのか。
道鑑 流派の起こりは、藩祖 政宗公が織部流の祖である古田織部公の高弟であった一世清水道閑を、京都から茶道頭(藩主の茶道指南役)として招聘なさったことに端を発します。
政宗 つまり、当初わが藩の茶道は織部流であったということであるか。
道鑑 そのように考えられます。仙台藩の茶道が石州流へと変わるきっかけを作ったのは、二代藩主 忠宗公の時代でした。忠宗公は二世清水動閑を石州流の祖である石州公のもとへ遣わし、13年間修行を積ませたのち、茶道頭に任命しました。二世動閑はその後、「清水動閑註解石州流三百箇條」及び「動閑茶道書」を記すなどして、仙台藩の茶道を石州流にする基盤を築きました。これらを基に石州流清水派が確立されたのは、四代藩主 綱村公の時代でした。
政宗 数寄大名として名を馳せた綱村公は、10年間に1300回、多い時には年に336回も茶会を催したと聞くが。
道鑑 茶道に造詣が深く、終生情熱を注がれたと伝えられています。そんな綱村公が二世動閑の没後茶道頭に指名したのは、一門の中でも傑出していた馬場道斎(のちの三世清水道竿)でした。三世道竿は綱村公の茶道指南役という重責を果たしつつ、二世動閑が築いた理念を土台に、さらに芸術性を高めた石州流清水派を確立し、これを全国の藩に広めました。この功績により三世道竿は〝石州流清水派の祖〟とされています。

石州流清水派代々に受け継がれている道具。仙台藩茶道頭累代伝来の品 高麗焼茶碗及び祥瑞水指(呉祥瑞造)、伊達家十八代当主 伊達𣳾宗様ご命名の棗(なつめ)「六十二万石」表 総髙蒔絵 内側 総梨子地

宗家奥方 大泉道紀宗匠(中央)の指導のもと稽古をする守屋道美教授

 

「大名茶の真髄」を今に伝える

すべてのお手前は藩主のために
気高く雅(みやび)た侘び茶の真髄を受け継ぐ

 

政宗 仙台藩茶道「石州流清水派」の特徴をご教示いただきたい。
道鑑 一言で申しますと「雅(みやび)た侘び」ということになります。安土・桃山時代に千利休が完成させた侘び茶では、薄茶が重視されていました。この侘び茶の真髄を受け継ぐ当流では、薄茶を〝真のお茶〟としています。侘び茶を追究するためには、贅沢な濃茶よりも薄茶がふさわしいという考え方です。
 このほか石州流には、分相応にお茶を楽しむことを善しとしたり、独立して一派を開く独自性を認めたり、後継者には血縁にこだわらず最も優れた茶人が選ばれるといった、独自の流儀がございます。時には血縁よりも実力を重視する後継者の選定方法には、藩主のための茶道・大名茶らしさがよく表れていると思っています。
政宗 お手前にも特徴があるようだが。
道鑑 当流派では藩主を重視してお手前が考えられています。そのため、たとえば座礼(お辞儀)は、当流では膝の横に拳をついてお辞儀をします。家臣が藩主の前でかしこまっている形ですね。
 また、茶釜に対して正対ではなく、斜体で向き合うのも当流の特徴です。これは、お手前が正客(藩主)から最も美しく見えるようにという工夫です。
 最大の特徴はお茶の飲み方で、当流派では茶碗を回すことはいたしません。
政宗 「茶道は茶碗を回して飲むもの」というイメージがあるが……。
道鑑 茶碗を回して正面を外す所作は「景色を汚さないように」という客の心遣いに由来しますが、石州流清水派にとっての正客は通常藩主ですから、そのような気遣いは無用です。茶碗が最も美しく見える正面から飲んでいただきます。
 これらのお手前を、曲線美を重視して行うのも我が流派の特徴です。これは、私の母である十世道鑑がよく、「世界で一番美しいお手前」と評して、生涯こよなく愛してやまなかったゆえんです。
政宗 藩主のための茶道ということだが、特別なお手前は存在するのか。
道鑑 「極真の手数(手前)」という、藩主以外には決して供されることのない特別なお手前があります。これは、藩主と茶道頭しか見ることができない、石州流清水派の真髄とも言えるお手前です。同様に、藩主が奥方を同伴された場合にのみ供される「二連天目台子の手数」というお手前もございます。

座礼(お辞儀)をする時、手のひらを付けず膝の横に拳を付ける

静かな空間に、所作の微かな音だけが響く宗家道鑑氏のお手前。亭主は正客に対し斜体で向き合う

随所に石州流の特徴が表れるお手前。藩主のために考えられた石州流は、茶碗は回さず一番美しい正面で飲む

世界で一番美しいお手前を伝授している大泉道紀宗匠

袱紗で釜の蓋を清めるのも石州流の特徴(守屋道美教授)

 

茶道を通して「伊達文化」を伝える

江戸時代から変わることなく継承され続けた
優美で洗練された茶道を正しく後世に

 

政宗 伝統芸術の中には時とともに変化するものもあるが、石州流清水派はいかがであるか。
道鑑 伊達文化は、政宗公のご偉功に端を発しています。政宗公は武将として、また政治家としても優れた藩主で、何より一流の文化人でした。政宗公が文化・芸術に求めたのは「洗練された美」であったように思います。これを踏まえて当流派の祖である三世道竿が確立したお手前は、この上もなく優美で洗練された、極めて芸術性の高いものとなりました。これを正しく後世に伝えたいという代々の茶道頭達の強い意志により、当流では江戸時代の流儀がそのまま変えられることなく私の代まで受け継がれてきています。これは極めて稀有なことで、伝えられた流儀は貴重な文化遺産であると私は思っています。従って、「王朝絵巻を見ているようだ」と評されている当流の正式な茶会に参加すると、当時の藩主による茶会を体験することができるといっても過言ではないと思います。
政宗 石州流清水派には、伊達文化が今も息づいているということであるな。では最後に、十一世宗家としての思いをうかがいたい。
道鑑 当流派は仙台藩茶道として藩の手厚い庇護を受けながら、江戸時代は代々の茶道頭たちによって、また明治維新後はそれを継承した歴代の宗家によって連綿と受け継がれてきました。
 その象徴とも言うべきものに、茶道頭あるいは宗家を継承する際に引き継ぐ三つの文献がございます。これらは当流の〝三種の神器〟にも相当するもので、この〝三種の神器〟を所持し、前に述べた「極真の手数」を知る者が、正統な後継者であるということになります。当然本来門外不出のものですが、本日は当流の恩人であり、伊達文化の基礎を築いた政宗公がいらっしゃるということで、特別にご用意させていただきました。
政宗 たいへん貴重なものを、かたじけなく存する。
道鑑 先代の十世道鑑は、流派の真髄を後世に伝えるため、10年の歳月をかけてこれらを現代語版に編み直し「清水動閑註解石州流三百箇條 付 仙台藩茶道」を出版しました。私も、当流の流儀を正しく次の世代に伝えてゆく責務を感じています。伊達文化を最も色濃く残しているこの流儀を忠実に継承し、さらに発展させることこそが、歴代仙台藩主ならびに当流の茶道頭・宗家のご恩に報いる唯一の道であると信じています。

 

石州流清水派茶道頭・宗家の継承の印の3つの文献
十一世道鑑氏が“三種の神器”と呼び最も大切にしている、門外不出の文献

片桐石見守貞昌宗関居士像(妙関子自画賛)
石州公のお姿と禅語・和歌が記されている天下一品の掛け軸。筆者の妙関子は、老中松平周防守康福のこと

渋紙庵之記(二世清水動閑筆)
二世動閑が初代茶道頭道閑について書いた書

清水動閑註解石州流三百箇條(三巻)及び動閑茶湯書(十八冊)
石州公がまとめた将軍家の茶道の規格三百箇條を動閑なりに解釈したもの

仙台藩茶道 石州流清水派宗家 十一世 大泉道鑑氏。 “こんなに素敵な曲線、優美な動きは他では見られない”と常々語っていた母である先代十世道鑑の、石州流に対する情熱をその目で見て育ち、流派の継承と研究に力を注いでいる

 

仙台藩茶道 石州流清水派:仙台市若林区清水小路一番地
連絡先 info@sekisyu-shimizuha.com
仙台藩茶道 石州流清水派のHPはこちらからどうぞ!

 

※文中で表示の年数は取材をした2017年9月当時のものです。