伊達とは何か<14> 霊廟と伊達文化


南奥羽の覇者と讃えられ、戦国大名として乱世を生き抜き、仙台藩62万石の礎を築いた藩祖・伊達政宗公。
その功績は軍事・政治のみならず産業・文化・国際交易にまで及び、その遺勲は今なお伝え継がれています。
この地に生き、継承と革新を繰り返しながら〝伊達〟の系譜を守り続ける方々にご登場いただきます。

 

伊達とは何か<14>

時代を超えて霊廟(れいびょう)と伊達文化を語る

臨済宗妙心寺派 円通院 副住職 天野 晴華師

 

小堀遠州作の庭・心字の池を背に本堂「大悲亭」にて (右)臨済宗妙心寺派 円通院 副住職 天野晴華師 (左)伊達武将隊 伊達政宗

光を浴び、闇に浮かびあがる木々の優美な姿と、それを映す心字池の静謐な美しさ。松島の秋の風物詩として多くの人々を魅了し続けている「松島紅葉ライトアップ」の先駆けとなった円通院は、仙台藩初代藩主・伊達政宗公の嫡孫・光宗公の菩提寺として建立された由緒正しいお寺です。
円通院の歩みと、伊達家ゆかりの寺を守る思いについて、副住職の天野晴華さんに、奥州・仙台おもてなし集団 伊達武将隊 伊達政宗がうかがいます。
(伊達武将隊かわら版vol.18/2019.10月-11月掲載「伊達とは何か」より)

 

 

政宗公の嫡孫・光宗公の、菩提寺として開山

正保4年(1647年)、
二代藩主・忠宗公が早世した嫡男のために建立

 

本堂「大悲亭」の中で行われた対談

政宗 円通院には我ら伊達武将隊のツアーで、何度も足を運ばせていただいておる。風光明媚な松島の中でも特に庭園の美しさで知られる寺であるが、その由来について知る者が存外少ないというのが、現世に蘇ったわしの実感である。副住職の天野殿にはまず、この円通院の由来についてお聞かせいただきたい。
天野 私どものお寺は、仙台藩二代藩主・伊達忠宗公の嫡男・光宗公の霊廟として、正保4年(1647年)に瑞巌寺第100世洞水禅師によって開山されました。本堂は「大悲亭(だいひてい)」、光宗公の御霊屋は「三慧殿(さんけいでん)」と申します。
政宗 光宗はわしの孫であるな。
天野 お母様は二代将軍・徳川秀忠公の養女・振姫様ですので、光宗公は三代将軍・家光公の従兄弟に当たる方でもありました。幼い頃から才気にあふれ、「政宗公の再来」とまで言われた光宗公でしたが、わずか19歳で早世されました。
政宗 伊達家の未来を託そうと手塩にかけて育ててきた忠宗や、次期藩主として期待を寄せていた家中の者たちの嘆きはいかばかりであったろうか。
天野 忠宗公の〝親としての思い〟に関して申しますと、当寺の本堂は、もとは江戸汐留にあった伊達家の納涼亭でした。暑い日、涼を得るためだけに使用されていた建物です。おそらく忠宗公は、ここで光宗公と楽しいひと時を過ごされたのではないでしょうか。菩提寺として円通院を建立するにあたり忠宗公は、そんな親子の思い出が沁み込んだ納涼亭を移築して本堂となさいました。

美しい自然庭園の中に佇む本堂「大悲亭」。寄棟造萱葺で落ち着いた姿の禅寺である。[松島町指定文化財]

政宗 納涼亭での団らんの場には、わしも同席しておったかもしれんのう。
天野 忠宗公はさらに、名だたる棟梁や名匠を集め、莫大な費用をかけて、光宗公を祀る霊廟・三慧殿を建立なさいました。この三慧殿は、嫡男とはいえまだ当主を継いでいなかった方の霊廟としては破格の豪華さで、緻密に造られた厨子と鞘堂は現在、国の重要文化財に指定されております。
政宗 本堂の「大悲亭」という名称からも、また三慧殿の華麗な佇まいからも、愛する我が子を失った忠宗の思いが伝わってくるようだのう。ところで、忠宗は何ゆえここ松島の地に、光宗の菩提寺を建立したのであろうか。
天野 円通院に関する文献はほとんど残っておりませんので、これは私の推察にすぎませんが、政宗公が造った伊達家の菩提寺・瑞巌寺が松島にあったからではないでしょうか。光宗公が家督を継承していれば政宗公が眠る瑞鳳殿に祀られるはずでした。しかし、それは叶わなかった。忠宗公は、そこに祀られている偉大な父・政宗公への思いと、息子への愛情、無念など、様々な思いを込めて、瑞巌寺の塔頭である円通院を菩提寺となさったのだと考えております。

本堂からさらに奥に進むと見えてくる光宗公の霊廟「三慧殿」。技術の粋をつくした伊達家屈指の建築物である[国指定重要文化財]

支倉六右衛門常長が西洋から持ち帰ったとされる、さまざまなモチーフが描かれている厨子。鎖国という時代背景により、その扉は3世紀半もの間開けられることはなかった

宮殿型厨子の中には、白馬に跨る衣冠束帯の光宗像と殉死した七人の像が祀られ、扉の内側にはローマを象徴するバラとイタリアフィレンツェを象徴する水仙が描かれている

厨子の中は天井まで精巧な細工が施されている

クローバーなどの西洋的な模様が随所に描かれている

370年あまり秘蔵とされてきた厨子を前に感慨深げな政宗

 

 

明治維新の廃仏毀釈を経て、
バラ寺として蘇る

天野明道和尚の※晋山(しんざん)を機に、
荒れ寺から松島屈指の美観の寺へ
※新しく住職になる者が初めてその寺に入ること。

 

政宗 円通院の今日に至るまでの歩みをうかがいたい。
天野 円通院は、時代に翻弄されたお寺です。伊達家ゆかりのお寺として歩んでまいりましたが、明治維新と廃仏毀釈で運命が一転。明治17年(1884年)を境に、住職がいない荒れ寺になってしまいました。
政宗 では、再び住職が入られたのは?
天野 昭和19年(1944年)のことでした。瑞巌寺の修行僧であった私の祖父・天野明道が晋山し、13世住職となりました。
政宗 一度荒れた寺を立て直すには、並々ならぬ苦労があったのではないか。
天野 祖父は日中戦争に出兵し、足を負傷して帰国しました。帰国後は、伊豆で療養生活を送ったのですが、そこで祖母と出会いました。しかし修行道場は女人禁制ですので、祖母を連れて瑞巌寺に戻ることはできません。そこで当時のご老師様が「瑞巌寺の山内寺院で檀家もないが、やっていく覚悟があるのなら」と勧めてくださったのが、瑞巌寺が管理していた円通院でした。祖父は住職になることを決め、祖母とともに庫裡で暮らし始めました。
政宗 檀家のない寺で、二人はどのように暮らしを立てたのか。
天野 祖父が円通院に入った頃は戦時中ということもあって、境内のほとんどが畑で、自給自足に近い生活をしていたようです。戦争が終わり、いよいよ生きる手立てを考えなければならなくなったとき、立ち上がったのは祖母でした。塩を売り、当時松島湾にたくさん生息していたタツノオトシゴを乾燥させたものを売り、おにぎりを売り……。世の中が高度経済成長期に入って観光客が増えると、お休み処「洗心庵」を作って食事やお土産を提供するようになりました。
 祖父もまた約三千坪の庭を維持するため、自ら整備を行いました。三慧殿の厨子に描かれたバラにちなんで、バラの庭を造ったのも祖父でした。このバラの見事さから、円通院はいつしか「バラ寺」と呼ばれるようになりました。
政宗 円通院の庭園は、天野殿の祖父母の人生そのものであるのだな。

庭園の中でも人気スポットの腰掛待合

天野 父が住職を継いでからは、バラの庭を「白華峰西洋の庭」として三慧殿の近くに移し、山門の近くには「雲外天地の庭」という石庭を造りました。このほか、仙台藩江戸屋敷にあった小堀遠州作の庭を移設したといわれる「遠州の庭」、祖父が植えた杉林を活かした「禅林瞑想の庭」なども少しずつ整備しました。おかげさまで現在は、多くのお客様に拝観していただいております。
政宗 我が子孫である忠宗・光宗親子の情愛から生まれたこの円通院を維持するために、天野家が親子三代にわたって力を尽くしてくれているとは、ありがたい限りである。誠に大儀であった。

初秋の佇まいを見せるバロック風のバラの庭「白華峰西洋の庭」

初夏には美しいバラが咲き誇る

約350年前に造られた心字池と観音菩薩が住む補陀落山を中心にした庭園「遠州の庭・心字の池」

雨がより美しさを際立たせている石庭「雲外天地の庭」

「天」と「地」には天水橋がかかり「天の庭」と「地の庭」を結ぶ掛け橋になっている

 

 

 

伊達文化を守り伝えつつ、
禅寺として、人の心を支え続ける

松島の秋のにぎわい創出のために、
紅葉ライトアップを開始

 

政宗 ときに、「松島紅葉ライトアップ」の先駆けとなった円通院のライトアップは天野殿がはじめたとうかがったが。
天野 私は京都で大学時代を過ごしたのですが、当時すでに京都では春と秋にライトアップが行われていました。寺社と商店街が協力して盛り上げている様子をうらやましく思い、父に相談したところ「松島の活性化につながるかもしれない」ということで、挑戦することになったのです。15年前のことでした。最初は予算もないので廃材などを集めてきて、10日間だけ開催しました。ありがたいことに、年を重ねるごとにお客様が増え、今は会期を3週間程度とし、庭園を回遊するコースを設けたり、コンサートを開いたり、楽しんでいただけるよう工夫しています。「松島紅葉ライトアップ」というタイトル通り、地域の方々にもご協力いただけるようになってまいりました。
政宗 ライトアップは、震災の年も行われたと聞くが。
天野 円通院には一度荒れ寺になった歴史があります。震災前の私は、二度とそうならないよう、円通院を自立したお寺として存続させることだけを考えて邁進していました。しかし、震災で全てが崩れてしまった。奇跡的に津波の被害は逃れましたが、正直なところ震災直後は何も考えられませんでした。そんな時、「家族の最後の思い出がライトアップでした」と言ってくださる方が何人もいらして。私が円通院のために行っていたことが、誰かの人生の大切な思い出になっていたことを知りました。そして、そういう思いがある人がいるならば、やろう!と思いました。お寺は、救いの場であるべきだと思ったのです。その時から、円通院が果たすべき役割について考えるようになりました。
政宗 では、そんな天野殿にとって、伊達とは何であろうか。

「伊達の文化を伝え守っていくことが使命」と語る副住職 天野師

天野 宮城の象徴であると思っています。円通院は伊達家ゆかりのお寺で、今でも私たち僧侶は「伊達家のお寺を守っている」という認識でおります。政宗公がお作りになった文化を守り、それを拝観してくださるお客様にお伝えすることが、円通院の役割であり、私の使命であると考えています。
政宗 天野殿の言葉、誠に頼もしい限りである。それでは最後に、円通院を訪れる方々への思いをお聞かせいただきたい。
天野 伊達文化は、日本の文化の中でも一種独特な香りがする文化です。政宗公のセンスの良さに由来するその香りを、少しでも感じていただければと思っています。同時に禅寺として、ここで手を合わせるほんのひとときでも、自分が今ここに在ることの意味や、命をつないでくださったご先祖、自分を支えてくださっている方々に、思いを致していただければと思っております。
政宗 円通院の由来や歩み、今この寺を守る天野殿の思いをうかがって感じたのは、何のためであれ、どんなことであれ、一生懸命に取り組んだことは、誰かの力になるということである。そのことを改めて胸に刻み、我ら伊達武将隊も、日々のおもてなしにより一層励んでまいろうと存ずる。

鏡のような心字の池にライトアップされた樹々が映り込む様子は、あの世とこの世の境のようにも見える

※新型コロナウイルス感染症拡大防止のため「松島紅葉ライトアップ2021」は中止となります。

 

臨済宗妙心寺派 円通院
http://www.entuuin.or.jp/
宮城県松島町松島字町内67 Tel.022-354-3206
■拝観時間/(年中無休)4月~10月下旬8:30~17:00、10月下旬~11月8:30~16:30、12月~3月9:00~16:00
■拝観料/大人300円、高校生150円、小人(中学生・小学生)100円

山門を入ると左手にある「縁結び観音」

縁結びこけしにペンで願いや名前を書き込み、御本尊様に祈願奉納ができる