伊達とは何か<9> 麹と伊達文化


南奥羽の覇者と讃えられ、戦国大名として乱世を生き抜き、仙台藩62万石の礎を築いた藩祖・伊達政宗公。
その功績は軍事・政治のみならず産業・文化・国際交易にまで及び、その遺勲は今なお伝え継がれています。
この地に生き、継承と革新を繰り返しながら〝伊達〟の系譜を守り続ける方々にご登場いただきます。

 

伊達とは何か<九>

時代を超えて麹(こうじ)と伊達文化を語る。

佐藤麹味噌醤油店 十四代目 佐藤 光政氏

佐藤麹味噌醤油店の味噌蔵にて (右)佐藤麹味噌醤油店 14代目 佐藤光政氏 (左)伊達武将隊 伊達政宗

 旧奥州街道沿いに広がる若林区荒町。ここは仙台藩初代藩主・伊達政宗公が若林城を築いた際に作られた町です。
 この荒町で藩政時代から店を営む佐藤麹味噌醤油店十四代目の佐藤光政さんに、麹作りと町への思いを、奥州・仙台おもてなし集団伊達武将隊 伊達政宗がうかがいます。
(伊達武将隊かわら版vol.13/2018.12月-2019.1月掲載「伊達とは何か」より)

 

 

伊達御供(だておとも)として、米沢から岩出山、仙台へ

創業は慶長8年(1603年)
歴史ある町の麹屋として

政宗 我ら伊達武将隊は、ここ荒町で夏に行われる「毘沙門天王祭」に毎年参加させていただいておる。佐藤麹味噌醤油店殿はこの町で最も歴史ある店とのことだが、まずはその歩みをお聞かせいただきたい。
佐藤 当店では味噌、醤油、米麹を商っておりますが、味噌醤油の醸造を始めたのは明治以降で、もともとは麹屋でした。創業は、慶長8年(1603年)ということになっております。
政宗 わしが仙台を開いたのは慶長6年(1601年)であるから、その2年後ということであるな。
佐藤 実は当家は、政宗公が米沢に居城を構えていた頃からお仕えしておりました。米沢から岩出山、仙台へと政宗公が居城を移されるのに従い、私どもの先祖も町ぐるみで移ってまいりました。慶長8年(1603年)というのは仙台で店を構えた年で、これを創業年としたと伝えられています。
政宗 実際には415年以上の歴史があるということか。それは大儀であった。
佐藤 伊達御供として政宗公に従ってきた大町、肴町、南町、立町、柳町、荒町の6つの町は「御譜代町」と呼ばれ、城下町の中心に配置されるなど、大事にしていただいていたようです。
政宗 うむ。御譜代町にはそれぞれ、その品目はその町だけが商うことができるという専売特権を与えておった。
佐藤 私どもの先祖が暮らしていた荒町は、麹でした。麹というのは、味噌や醤油、酒の醸造に欠かせない素材です。この麹の製造免許をいただき、名字帯刀を許されたのが、当店のはじまりと伝えられております。
政宗 店の場所は、創業当時から変わっておらぬのかな?
佐藤 仙台開府当時、荒町は仙台城に近い現在の一番町二丁目界隈にございました。今あるこの場所に町が移されたのは、寛永5年(1628年)のこと。政宗公が隠居所として若林城を造成したときのことと聞いております。
政宗 仙台城と若林城を結ぶこの辺りは閑散としておったからのう。同じ頃、北目城下(太白区郡山付近)にあった毘沙門堂もここに移したのであったな。
佐藤 麹屋を集めて町を作ったのは、「自分の手元において庇護してやろう」というお気持ちもあったのではないでしょうか。当時麹屋は約60軒ほどありましたが、政宗公は競争を防ぐため、それぞれの店に地域を割り当ててくださいました。当家の担当は六郷・七郷地区でした。これらの地区の方々の中には、今でも米麹や味噌を買いに来てくださる方もいらっしゃるんですよ。
政宗 その中には、我が家臣の子孫もいるのであろうのう。わしが土台を築いたつながりが今なお続いておるとは、実に喜ばしいことである。

寛永5年(1628年)に現在の地に移った荒町とともに歩んで約400年。町の繁栄を願いながら麹屋を守り継いでいる

藩政時代をしのばせる奥に長い作りの建物の中には、トロッコ用の線路が

今でも現役で活躍している荷運び用のトロッコ

歴史を物語る大きな木樽

 

 

麹作り味噌作りを通して、仙台藩を支える

政宗公が力を注いだ味噌づくり
「仙台味噌」の名は全国へ

政宗 麹を使う食品で、我が藩が特に大切にしていたものに味噌がある。戦国時代、米と味噌は重要な兵糧であった。豊臣秀吉公の命を受けた朝鮮出兵の折、他藩の味噌が腐敗する中、我が藩の味噌だけは変質しなかった。請われて他藩に分け与えたこともあったのう。仙台に居城を移してからは、兵糧となる味噌を自給しようと、日本初の味噌工場といわれる御塩噌蔵も作った。佐藤殿のご先祖も、藩の味噌作りに関わっておられたのであろうか。
佐藤 関わっていたものと思われます。味噌の材料となる米麹を作るには種麹というものが必要なのですが、その頃、当家の先祖が作った種麹を、城下の麹屋に配ったこともあったようです。
政宗 戦国の世から我が藩の味噌が優れていることは他藩にも知られていたが、その品質がさらに高まったのは、世の中が落ち着いてからであったな。
佐藤 政宗公は江戸の藩邸にいた約三〇〇〇人のために御塩噌蔵で作った味噌を運ばせておりましたが、後に大井の下屋敷に味噌蔵を作り、国元から運んだ材料で味噌を作るようになりました。おいしいと評判のこの味噌を、江戸の人々は伝手を求めて手に入れていたようです。二代藩主・忠宗公の時代に余った味噌を払い下げるようになってから評判はさらに高まり、「仙台藩の味噌」から転じて「仙台味噌」と呼ばれるようになったということです。当家の九代目は、江戸の御塩噌蔵に赴き、約一年間仕込みの指導に当たったと伝えられています。
政宗 当時の仙台味噌はどのようなものであったのであろうか。
佐藤 味噌の材料は、大豆と米麹と塩と水です。米味噌は通常、大豆一升に対して米麹一升の割合で作られますが、仙台味噌は政宗公の「米は年貢として納められた大事なものであるから、できるだけ節約するように」という指導もあって、大豆一升に対して米麹五合で作られていました。当時の味噌は、うまみはあっても塩分が強すぎるため、現代人は塩辛くて食べられないと思います(笑)。
政宗 佐藤家が味噌醤油の醸造を始めたのは明治以降と言っておったが?
佐藤 藩政時代は味噌も醤油も酒も各家庭で作っていたため、麹を買い求める人が大勢いました。しかし明治時代に入って酒税法ができ、家庭で酒を造れなくなってからは、麹の売り上げが激減してしまいました。そこで、当店でも味噌や醤油を醸造するようになったと聞いております。
政宗 佐藤殿の味噌作りのこだわりは?
佐藤 当店で作っているのは、仙台味噌のみです。最近は、お客様の好みに合わせて麹をやや増やし、塩分を減らして作っていますが、大豆と米と塩、そして水だけで作るという、昔ながらの作り方は一切変えておりません。

先祖伝来の技が生きる味噌醤油は、宮城県主催味噌醤油鑑評会で数多くの栄誉に輝いている

重石を乗せ熟成中の今年9月に仕込んだ味噌「慶長」

100年以上使い続けている木樽

 

 

藩政時代からともに歩む荒町のために

先祖伝来の技を守りながら、まちの発展を支える

政宗 荒町には現在、麹屋は何軒あるのか。
佐藤 開府当時は60軒、私が幼かった頃でもまだ20軒ほどあったのですが、現在は当店一軒だけになってしまいました。それでも、うちの味噌でなければというお客様がいて、注文したり、買いに来たりしてくださったりしています。
政宗 佐藤麹味噌醤油店殿の一年は、どのようなものであるのか。
佐藤 10月から5月まで麹作りに専念しています。寒い時期に仕込むのは、雑菌が少ないからです。昔は、麹が売れない夏の間だけ団扇(うちわ)を作ったりもしていたようです。最も忙しいのは2月、3月ですね。ご家庭で味噌を作る方が今もいらっしゃいますので、その時期に注文が重なるんです。少ない方で10㎏、親戚の分も含めて100㎏もご注文くださる方もいます。
政宗 完成した味噌を届けるのではないのか。
佐藤 熟成の一歩手前まで仕込んだものをお届けし、それぞれの家庭で熟成させていただきます。期間は好みによりますが、豆と麹の香りが好きな方は1カ月ほど。チョコレート色になるまで熟成させるには3年ほどかかります。私は一年から一年半ぐらい熟成させたものが一番おいしいと考えています。
政宗 他の地域の武将の方々にお目にかかると、「仙台は味噌がうまくてうらやましい」とよく言われる。仙台味噌の人気は今なお衰えておらぬようじゃのう。
佐藤 当店では通信販売も行っているのですが、北は北海道から南は九州まで、全国にお客様がいらっしゃいます。仙台味噌の人気の高さを実感する度に、「この味を守って行かなければ」と強く思います。
政宗 わしに従ってこの地に移り、今もこの荒町に店を構えている佐藤殿にとって、伊達とは何であろうか。
佐藤 当家の先祖は、政宗公がいなければ仙台に来ておりません。仙台藩がなければ、私は今ここにおりません。当家が今あるのは、政宗公と仙台藩のおかげです。感謝を胸に、これからも愛される味噌を作り続けたいと思っています。幸いなことに、現在東京にいる二男が店を継いでくれることになっております。
政宗 十五代目が決まっているとは、祝着至極である。仙台味噌は、伊達を構成する大切な要素の一つであるとわしは思っておる。そんな仙台味噌を作る佐藤殿の店が、今なお必要とされていることを誇らしく思う。佐藤殿にはこれからも、伝統ある仙台味噌を皆に届け続けていただきたい。我ら伊達武将隊も、店がこの先も続いてゆくように、そして藩政時代から続く荒町がよりいっそう賑わうように、盛り上げてゆきたいと思うておる。
佐藤 ありがとうございます。政宗公と現世で再び巡り会えたことに感謝いたします。

麹屋の命ともいえる米麹。約330kgの米が温度30℃の麹室で発酵を続けている

秋から春先まで、寒い時期にだけ販売をする甘酒。店自慢の米麹と宮城県産米だけで造られた麹屋秘伝の優しい味が人気

大豆と同量の米麹を使い、まろやかな甘みの味覚に仕上げている味噌「慶長」(1㎏1,040円税込)と米こうじ(1㎏1,080円税込)

 

株式会社 佐藤麹味噌醤油店
仙台市若林区荒町27 Tel.022-222-4712
佐藤麹味噌醤油店のHPはこちらからどうぞ!


平成26年に410周年を迎え、今でもその歴史を後世へと繋いでいる

 


寛永20年(1643年)に造営された毘沙門堂にて(仙台市指定有形文化財)


毎年、毘沙門天王祭で荒町の子どもたちと打ち水を行っている伊達武将隊(2018年8月1日の様子)